津地方裁判所 昭和24年(行)17号 判決
原告 松本桂
被告 三重県農業委員会
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告(当時三重県農地委員会、以下同じ)が昭和二十四年四月十二日になした別紙第一目録記載の土地(但しその範囲、位置については第二目録記載の青点線の部分)を訴外加茂村農地委員会(以下村農委と略称する)が樹立した買収計画から除外する旨の裁決を取消す、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、原告は昭和二十年十一月二十三日現在において右土地の使用貸借による小作人であつたので、昭和二十二年五月十日自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)施行令第四十三条に基き村農委に対しこれが買収方を申請したところ同委員会はこれが買収計画を樹立して同年九月九日から同月十九日までを縦覧期間と定めてその旨公告をしたが、右土地の公簿面所有者である訴外松本一男において法定期間内に異議の申立をしなかつたので被告は右買収計画を承認し、次で三重県知事青木理は同年十月二日これを買収した上適法な手続によりこれを原告に売渡した。よつて原告は昭和二十三年五月十一日右売渡代金の支払を完了したところ、被告はその後になされた松本一男の買収不服の訴願を容れ、昭和二十四年四月十二日右土地を村農委の買収計画から除外する旨の裁決をしたので、原告の買収申請は不当に却下されたことになり、当然売渡処分も取消さるべきこととなつた。然しながら右裁決は法定期間内に異議の申立をしないでなした訴願であるに拘らずこれを採用した違法があり、また買収除外の理由として右土地が農地と認むべきでないとしているのは全く被告の間違つた調査に基く判断から出たもので該土地が数十年来農地として使用せられてきた事実及び現在も明かに菜園であつて農地である事実を無視した違法がある。
元来右農地は原告が昭和二十年十一月二十三日以前から耕作しているのであつて、所有名義人松本一男は曽て一度もこれを占有した事実はない。同訴外人は台湾に居住していたもので終戦後昭和二十一年四月十八日帰国し妻の父訴外松本央(原告の父)の家に同居しているものである。而して右農地は一男の所有に属しないのであるが原告は若年の頃家を出て名古屋市に居住していた関係と妻との間に子女がないので父央は原告に孝養を期待せず、むしろ女婿である一男が子女を有しておりまた央の先代が医者であつたので一男の長男順を医者にすることを希望していた等の関係から一男一家の孝養を期待し、その旨を十数年前同訴外人に告げその承諾を得たことがあつた。それで昭和十八年になつて央(準備書面中桂とあるは誤記と認める)は順を医者にするためには相当の学費を要することでもあるので自己の希望が達せられる場合にはこれを贈与する意思のもとに別紙第一目録記載の不動産を同年四月一日一男に所有権移転登記をした。然しそれはあくまでも央の独断専行にかかり所有権移転原因は売買となつているが仮装売買に過ぎなかつた。ところが昭和二十一年四月一男一家が台湾から引揚げ央の家に同居することになつたが一男一家の者は央に対して孝養をつくすどころか却て常に意見の衝突を見、順を医者にすることに反対し果ては父に対し聞くに堪えぬ暴言を吐き家財什器等を持出す等の振舞あるため央の希望実現は幻滅に終つたので央は右の理由により一男を相手方として昭和二十一年山田区裁判所に土地所有権移転登記請求訴訟(同裁判所昭和二十一年(ハ)第六号)を提起した結果同裁判所において調停(同年(ス)第二七号)に移され昭和二十三年五月二十一日利害関係人として原告、訴外松本実也、同木場正行、同榊原又四郎が関与し、次のような条項を内容とする調停が成立した。即ち(一)申立人、相手方及び利害関係人松本桂、松本実也、木場正行、榊原又四郎は相手方の住居を建設するため松本実也所有の志摩郡加茂村大字松尾字十軒坊八七五番山林四町一反二畝歩の内五十坪を松本桂において買受け相手方に提供すること並びに利害関係人は右建設に協力することを承認すること、(二)右建設は昭和二十四年三月までに完成すること、(三)相手方が現在居住するところに自己が取付けたものは一切取外し得ること、(四)双方は志摩郡加茂村大字松尾字谷地九三七番の一九山林一畝歩、同郡同村大字松尾字鈴串一〇三四番地の第三山林一反五畝歩は現在登記してある通り確認すること、なお相手方名義になつている右以外の土地及び宅地九十八坪は松本桂名義に書換をなすこと、(五)相手方は農地委員会の処理に対して不服の申立をしないこと、(六)松本桂より相手方に対して金一万円を左記二回に交付すること、即ち第一項記載の工事に着手と同時に金五千円、昭和二十四年三月末日までに金五千円、但し第二回支払は現在居住する個所を明渡すと同時にこれを支払うこと、(七)訴訟は本日取下げること、(八)調停費用は各自弁のこと、以上の如く調停が成立したので申立人及び利害関係人は各その調停条項を履行せんとしたにかかわらず相手方である一男は間もなく右調停に不服を述べその義務を履行せず、右第五項に違反して既に加茂村農地委員会が買収計画を樹て被告の承認を経て買収手続を完了した本件農地に関し被告に対し不当に訴願したのである。なお原告は昭和二十年一月頃帰村し当時松本央が七十八歳の老人で到底耕作に従事し得ないので同人の承諾を得て原告において耕作し現在に至つていると陳述した。(立証省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として原告の主張事実中原告が昭和二十二年五月十日村農委に対し自創法施行令第四十三条に基き別紙第一目録記載地番坪数の土地(但しその範囲位置については第二目録記載の「は、ヨ、イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、とは」を結ぶ線)につき買収方を申請し、同委員会においてこれが買収計画を樹立し同年九月九日から同月十九日までを縦覧期間と定めて買収の公告をしたこと、被告が右買収計画を承認し三重県知事が本件土地の買収令書を発しその後これを原告に売渡す旨の通知書を原告に対して発したこと、被告が松本一男の訴願により昭和二十四年四月十二日原告主張のような買収除外の裁決をしたことはいずれも認めるがその余の事実は争う。本件土地はもと松本央の所有であつたが同人は昭和十八年四月一日これをその娘の夫松本一男に売渡した。同人は永く台湾に居住していたが昭和二十一年四月一家を挙げて引揚げてき、原告も若い時から家郷を出ていたものであるがこれまた終戦当時帰郷し、以来央、原告、一男の各家族は同一家屋に居住しているものである。而して本件土地は右家屋を中心とし生垣を以つて囲繞せられた屋敷内の土地であつて、地目は宅地であり、合計二百二十三坪の内約百坪は菜園として耕作されているが、他は道路や庭である。従つて該土地の本来の性格はこれを宅地と認めるを相当とするのみでなく、一男と桂との関係は自創法にいわゆる地主、小作農と目すべき程度のものではない。一男は原告に対し本件土地を適法に同法にいわゆる小作地として提供した事実はない。村農委は右事情を顧みずしかも原告から買収申請があつた後たる昭和二十二年六月頃から一男は口頭で異議を申出ていたのにも拘らずこれを受理しないで手続を進行したので買収並びに売渡の手続までなされたものであるが、昭和二十三年七月二日一男は書面を以つて異議の申立をなし村農委において却下の処置に出たため同訴外人は更に被告に対し訴願するに至つたのである。そこで被告は調査の結果右事情が判明したので先になした買収計画の承認を取消し買収除外の裁決をするに至つたものである従つて被告のなした右裁決は適法妥当なものであると述べた。(立証省略)
三、理 由
原告が昭和二十二年五月十日村農委に対し自創法施行令第四十三条に基き別紙第一目録記載の土地(但し同記載地番の土地の範囲及び位置については相互にくいちがいがあるが当事者間成立につき争のない甲第四乃至第六号証によると本件土地の範囲及び位置が別紙第二目録記載の原告主張の如くであることが認められこれに反する乙第一号証はにわかに信用できない)の買収方を申請し、同委員会においてこれが買収計画を樹立し、同年九月九日から同月十九日までを縦覧期間と定めて買収の公告をしたこと、被告委員会が右買収計画を承認し三重県知事が右土地の買収令書を発し、次で原告に対する売渡通知書を発したこと、その後被告委員会が松本一男の訴願により昭和二十四年四月十二日右土地を村農委の買収計画から除外する旨の裁決をしたことはいずれも当事者間に争いがない。原告は右裁決は法定期間内に異議の申立をしないでなした訴願を採用した違法がある旨主張するから先ずこの点について考えてみるに、農地の所有者において村農委の定めた農地買収計画に異議あるときは法定の期間内に村農委に対し異議の申立をなし、その決定に不服あるときは更に法定の期間内に県農委に訴願することができるのであつて、異議の申立を経ずして直ちに訴願を提起することは許されないものというべきところ訴外松本一男の前敍訴願は一男が村農委の買収計画に対し法定期間内に異議を申立て、該申立を村農委において却下したためになされたとの点についてはこれに吻合する証人松本一男の証言部分はにわかに措信し難く他にこれを認めるに足る資料が存しないのみならず、却つて証人岡村文五郎同上村徳一の各証言によれば村農委の前敍買収計画に対してはその法定期間内に一男より適式の異議の申立がなされなかつたので前敍の如く被告が右買収計画を承認し、次いで昭和二十二年十月二日三重県知事がその買収手続を完了して原告にこれを売渡したがその後一男より訴願が提起されたことが明であるから右訴願は自創法第七条に定める適式の異議の申立を経ずに提起された違法の訴願であり、従つて被告は該訴願を受理し、これに裁決を与えたことはそのことのみに着眼する限り一応違法な処分といわなければならない。しかしながら処分行政庁はさきになした行政処分が何等かの事由により取消し得べき行政処分である限り裁判所のなす行政処分の取消(裁判所は出訴期間内に提起された行政訴訟によつてのみ取消の判決をなし得る)と異り何人の請求をも俟たず自からこれを覚知したときは原則としていつでも取消し得る権限を有するものと解せられるだけではなく自創法第七条の訴願提起期間は買収計画に対する土地所有者からの不服を申立て得る期間を定めたのであつて当然には処分行政庁による瑕疵ある処分の取消をも制限する意味をもつものではなく、且つ右買収計画の承認については後敍の如くその取消に値する重大な瑕疵が存したと見られるのであるから右訴願が異議の申立を経なかつたこと、又はその提起が法定期間を経過した後の訴願であつたことは、被告が本件買収計画除外の裁決によりさきになした買収計画に対する承認を取消すにつき何等妨げとならず原告の右主張は採用し難い。
ところで凡そ行政行為が詐欺、強迫等の不正手段によつて行われたり、又は行政行為の形式、内容が法規に違反し或いは公益を害したり、更に或は要素の錯誤に基いてなされたりした場合にあつては、それが公の権威をもつて争を解決する性質を有する訴願の裁決等を経た場合を除き(これとて民事訴訟法にいわゆる再審事由の認められる限り取消し得るものと考えられるが)後日その処分をなした行政庁において自らこれを取消し得るものと解すべきであるが、右処分の取消により国民の既得の権利利益を剥奪する結果となるような場合には、かような権利、利益の剥奪により既存の法的秩序を破壊してもなお且つその取消を必要とすると認められるだけの重大な瑕疵の存在する場合に限つてその取消が許されるものと解すべきであるところ、ひるがえつて本件をみるに、本件土地が法定の手続を経て買収せられ次で三重県知事より原告に対し売渡通知書を発したことは前敍のように当事者間に争のないところであり、真正に成立したことにつき争いのない甲第三号証によれば売渡の時期は昭和二十二年十月二日とせられていることが認められるから、本件土地の所有権は右同日原告に移転せらるべきものといわねばならないけれども、証人松本つね、同松本一男、同松本央、同大島チトセの各証言(但しいずれも後敍措信しない部分を除く)を綜合すれば本件土地はもと松本央の所有であつたが当時その娘の夫松本一男は台湾に居住し、央の長男である原告もまた郷里を出て名古屋方面に居住しており、一男が央に対し仕送りをするのに引替え原告は殆んど父を顧みないのみか身持ちもおさまらないため、老年の央としては原告を頼りにすることができずゆくゆくは一男に面倒を見て貰おうとの考えから央は昭和六年頃一男に対し本件土地及びその所有不動産の大部分を金二千百十四円で売渡し、その後昭和十八年四月一日これが所有権移転登記手続を了したこと、而して右譲渡後も一男が台湾に居住していた関係上、央は一男の暗黙の諒解のもとに依然として本件土地を占有し、うち原告主張の五畝三歩は野菜畑として、二畝十歩は花畑としてそれぞれ使用していたことが認められ、右認定に牴触する証人上村徳一、同岡村文五郎、同松本実也、同上村栄吉、同押田清英の各証言部分及び原告本人訊問の結果の一部はにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る資料は存しない。ところが真正に成立したことにつき争のない甲第一号証、同第三乃至第六号証に証人上村徳一、同岡村文五郎、同松本実也、同上村栄吉、同押田清英の各証言及び原告本人訊問の結果(いずれも上敍措信しない部分を除く)並びに検証の結果を綜合すれば、太平洋戦争のため食糧事情が逼迫してきた昭和十八年頃から原告は食糧入手のため時たま央方に帰りその都度本件土地に対する央の耕作を手伝つていたが、昭和二十年初項名古屋方面を引揚げ央と同居するようになつてからは前敍五畝三歩(但し別紙第二図面中イロハニホヘトチリヌイの各点を結ぶ線内)及び二畝十歩(但し同図面中イヨタルオワカイの各点を結ぶ線内)の各一部を野菜畑として主として原告において耕作するようになり、央も老年であるためこれを阻止しようとはせず、この状態は一男が昭和二十一年四月に台湾から引揚げてくるまで続いていたため、前敍のように原告の申請に基き村農委において原告を小作人、一男を不在地主と認め右二筆の土地全部(殊に二畝十歩の方はいわゆる家庭菜園と認むべき程度のもので農地とは認められないに拘らず)に対し買収計画を樹立し被告において一旦これを承認したことが認められ、右認定に牴触する証人松本つね、同松本一男、同松本央、同大島チトセの各証言部分はにわかに措信し難く他に右認定を左右するに足る資料は存しない。然らば昭和二十年十一月二十三日当時本件土地に関し一男と使用貸借関係にあつたのは央であつて、原告は一男には無断で央の黙認のもとにこれを使用していたに過ぎず(央が本件土地を他に使用せしめ得る権限を有していたことを認めるに足る資料は存しない)従つて自創法の保護を受けるべき小作農ということができないことは明かである。然るに被告は原告を小作農と認めて右買収計画を承認し、買収、売渡の手続まで終了するに致つたが、後日になつて前敍の如き事実が判明したため右承認を取消す趣旨のもとに本件裁決をなしたのであるが、かような錯誤の存在はまさに承認取消に値する重大な瑕疵というべきであるのみならず、本件土地の売渡を受けた原告において右土地に関し第三者との間に新たな法律関係を設定したことの認められない本件にあつては、右承認を取消しても右錯誤を与えた責任者である原告以外第三者の既得の権利、利益を剥奪する結果を招く虞がないものといわねばならないから右錯誤を理由としてなした本件裁決には何等違法は存しないものというべきである。
果して然らば本件裁決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当である。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 木戸和喜男 中瀬古信由 家村繁治)
(目録省略)